関ヶ原の戦いの折に親子・兄弟で東西両軍に分かれた大名家

ネタばれなので、正史に熟知した方以外はなるべく見ないでください。
(※元ネタは「Yahoo!知恵袋」→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1042210585

・子・真田信幸<当時:『信之』に改名したのは関ヶ原の戦い後>(東軍)、父・真田昌幸(西軍)<※信幸の弟の信繁<幸村>も父昌幸に従軍>


・子・九鬼守隆(東軍)、父・九鬼嘉隆(西軍)<隠居の身で上杉征伐に不参加で在国>


・子・生駒一正(東軍)、父・生駒親正(西軍)<※高齢・病を理由に在国するも家臣・大塚三正を西軍に代理として派遣>


・子・蜂須賀至鎮(東軍)、父・蜂須賀家政(中立)<※西軍の出兵要請を拒否し、領地を豊臣家に返上することを宣言し、高野山に隠遁。ただし大阪屋敷の家来などは西軍に吸収され幾許かの兵を提供、しかし西軍に領地の阿波国の接収の余裕も日時もなかったため、本国はほぼ手付かず>


・父・仙石秀久(東軍)、子(次男)・仙石秀範(西軍)


・父・大島光義(東軍)、子・大島光政・光俊(西軍)


・兄・前田利長(東軍)、弟・前田利政(西軍よりの中立)<※病を理由に出兵せず東軍参加を拒否<※ただし前哨戦の大聖寺城攻めには参加している>>


・弟・小出秀家(東軍)、父・小出秀政と兄・小出吉政(西軍)


・父・鍋島直茂(東軍)<当主・在国>、子・鍋島勝茂(西軍→戦場放棄)<《中四国九州の大名は、「唐入り」の負担に考慮し、上杉征伐の軍役を事実上免除されていたが、鍋島氏は嫡子を代行で派遣》上杉征伐に出兵するも愛知川の関を通過前に西軍が蜂起し、やむなく西軍に参加。伊勢方面軍に従軍するが、直茂の急使により、伊勢方面軍の関ヶ原への移動に同行せず戦場放棄し本戦に不参加>


・父・佐竹義重<前当主で隠居中>(東軍)、子・佐竹義宣(西軍)<義宣が上杉と懇意も、義重が東軍参加主張で家中が割れ、在国のまま動けず>


・従兄・宇喜多秀家(西軍)、従弟・宇喜多詮家(東軍)<上杉征伐に従軍を拒否した当主の宇喜多秀家の名代として、前年の宇喜多騒動の厄介払いのように、少数の兵士とともに上杉征伐軍に従軍し、そのまま東軍に参加。少数の兵のため『関ヶ原の戦い』時の詳細は不明>


・甥・堀秀治(東軍)、叔父・多賀秀種(西軍)

  • 木下家

父:家定・本戦闘時、妹の北政所<高台院>の警備(中立)
長男:勝俊・伏見城代として東軍に参加も敵前逃亡(東軍→戦場放棄)
次男:利房(西軍)
三男:延俊(東軍)
五男:秀秋<小早川>(西軍→東軍に内応)
六男?:俊定(西軍)
七男?:秀規(西軍)