ショートコラム

小早川秀秋の蔑称?、金吾とは?

この、小早川秀秋の蔑称?『金吾』(左衛門督)は本来、中国の後漢の光武帝の『士官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華』用語の執金吾ことで、中国通には名誉な官職だったハズが、この『関が原』での本人の行動により、 >忌諱された名乗り >左衛門督(朝倉…

松尾山の小早川秀秋の軍勢は本当に1万5千人だったのか?

俗説では、関ヶ原の戦い時に「松尾山」に布陣した小早川秀秋勢力は1万5千とされている。 しかし、この根拠となっている旧帝国陸軍参謀本部作成「日本戦史」は、この時期の小早川秀秋の石高が52万石として計算しているのだが、実際はそのうち20万石近くもが…

真田昌幸は当時『安房守』ではなかった?!

安房守 真田昌幸、里見義康(※1591年に里見義康正式に叙任されているため、真田昌幸は厳密には当時、前安房守では?) 飛騨守 蒲生秀行、金森長近(年齢から考えて、金森長近が真田昌幸同様、前任者で前官待遇で名乗っていたと思われる) 対馬守 宗義智、山…